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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)7461号 判決

判   決

山口県下関市細江町一四番地の一

原告

木下友敬

右訴訟代理人弁護士

山口民治

平本祐二

東京都台東区上野北大門町一五番地

被告

株式会社ネギシ写真機店

右代表者代表取締役

根岸英夫

右訴訟代理人弁護士

吉野末雄

主文

被告は原告に対し一〇万円の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分しその一を被告の、その余は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し三〇〇万円の支払をせよ訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として、

一、原告はもと参議院議員であつたが、議員在任中の昭和三五年四月一八日アテネで開かれた列国議会同盟会議に出席し、会議終了後は欧米十数ケ国を歴訪視察して同年六月一五日帰国した。そしてその数日後、右旅行中に撮影したカラーフイルム(アグフア、カラーネガ三六枚撮り)八本の現像を、被告会社(写真機材の販売、現像、焼付の請負等を業とする)の銀座営業所(東京都中央区銀座西五丁目四番地、数寄屋橋シヨツピングセンター内所在)に依頼した。ところが、右フイルムがカラーフイルムであることはその容箱を一見しただけで明らかに知り得るに拘わらず、被告会社の従業員は不注意にも黒白フイルムと誤認して現像処理したため、カラー写真としては全く用をなさないものとなり、その後被告がアグフア東京現像所の指導の下に種々の処理を施した結果、右八本の内七本は黒白写真としてどうにか焼付可能とはなつたものの、粒子が荒れ鮮明度が低く、鑑賞、記録写真として価値は殆んど失われてしまつた。

二、被告の右過失により原告は外遊の貴重な記録を失い、精神的損害を蒙つたが、これを慰藉する金額は次に述べるような事情を綜合すると三〇〇万円が相当であるから、被告に対し右金額を本訴において請求する。

(一)  列国議会同盟会議出席は原告の旅行の主たる目的であり、原告は同会議の模様や各国代表との交歓の際の記念写真等約四〇枚を撮影したが、右写真は議院に対する報告に添付し次回に日本で右会議を開催する際の設営資料とする予定であつたほか、記念写真は多数の外国代表等に対し贈呈の約束をしてあつた。しかしこの分の現像は完全に失敗に終り黒白写真としても焼付できなかつたので、単に原告個人の困惑にとどまらず、原告に日本の代表者としての面目を失わせる結果となつた。(なお贈呈の約束はこの他にもあり、総数四〇余件に及ぶ)

(二)  原告は権威ある週刊紙朝日ジヤーナルの編集者から、今回の外遊の紀行文と共にカラー写真二枚(二頁大及び一頁大)の提供を依頼されていたが、これは原告にとつて大きな名誉であるばかりでなく、その政治活動にも裨益するところが多いものと期待された。原告はこれに充てるため欧米各地で約二〇枚を撮影したが前述のような次第で無に帰し、同誌としては紀行文だけで写真なしでは掲載価値がないので取りやめとなつた。

(三)  原告は永年登山に親しみ下関山岳会長、山口県山岳連盟会長、第一八回国民体育大会(山口県で開催予定)の登山競技準備委員長の地位にある。そこで帰朝後各山岳会における展覧会、講演会等に使用し、山岳関係雑誌に寄稿する等の目的で、モンブラン、ユングフラウ等名山の写真約四〇枚を撮影し、幸い好天に恵まれ傑作を得たかに思われたが、被告の過失により鑑賞に堪えぬものとなり、右諸計画はすべてが水泡に帰した。

(四)  また原告は各地で病院、保育園、養老院等の社会施設を見学し自己の所属する参議院社会労働委員会への報告資料としたり、関係雑誌に掲載するため約三〇枚撮影したが、これも無為に帰した。

(五)  原告は古くから俳誌「層雲」に関係しているほか、芸術一般についてすぐれた才能を有するので、右に挙げた写真はもとより、原告個人のための記念写真といえども、一般旅行者のそれに比して高い芸術的価値を有し、それだけに原告自身にとつての主観的価値も極めて高いものと言わなければならない。

と述べ、原告に過失があつた旨の被告の主張を否認し、証拠として(省略)

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として

一、請求原因一の事実中原告の外遊の目的、日程、歴訪地等の詳細は知らないが、その余の事実は認める。同二の事実については朝日ジヤーナルが権威ある週刊紙であることは認めるがその余はすべて知らない。

二、原告の請求する慰藉料額は甚だしく過大であり不当である。右金額を定めるにあたつては、次のような諸点が斟酌せらるべきである。

(一)  本件カラーフイルムの現像処理の誤りについては、原告の過失も一因をなしている。即ち、原告は本件アグフアカラーネガフイルムを一本づつ同社製の外装紙箱に入れた上一括して紙袋に入れ別にフジカラー(ポジ)フイルム(アルミ筒入り)四本を入れた紙袋と共に被告の営業所に持参し、応待に出た。店員浅香健利に対し単に「フジは現像、アグフアは現像ベタ焼」とだけ言つて差し出したのであるが、現像とベタ焼(密着焼)とを同時に依頼することは通常黒白フイルムについて行われることで、カラーフイルムについてこのような依頼を受けることは絶無とは言えないまでも非常に稀である。その上、アグフア社のカラーフイルムの外箱は同社の黒白用「イソバシ」フイルムのそれと一見よく似ている。それで浅香は原告から渡された二つの紙袋を開いてみてフジの方はカラーであることを直ちに認識したのに、アグフアの方は黒白フイルムとばかり思い込み、当時店には他にも数名の来客があつたのに店員は同人一人と、他にたまたま来合せた取引先の店員吉田某が手伝つていただけで、多忙を極めていたためもあつて、箱の文字をよく確かめずに、他から現像依頼を受けていた黒白フイルム(被告会社の現像所で現像される。)と一緒にしてしまつたのである。しかも浅香が「フジは一週間位、アグフアは明日の夕方出来上ります。」と言つたのに対し、原告は何ら疑念を抱かず、そのまま立去つたのであるが、カラーフイルムの現像焼付はフイルム製造会社直営の現像所に送つてそこで行われるので、右のような短時日で出来上る筈がないのが常識であつて、現に浅香が「フジは一週間」と言つているのだから、原告の方で浅香の思い違いに気がついてもよかつたのである。これを要するに本件事故が被告方店員の過失によるものであることは否定すべくもないが、原告の注文の仕方にも過失があり原告の注意如何によつては未然に防止し得たと思われる。

(二)  被告が現像を依頼される写真は通常国内で撮影された家庭写真や風景写真の類が主であつて、本件フイルムが原告主張のように国外で撮影された特殊、貴重なものであることは被告会社ないしその従業員はこれを知らず、また知り得べくもなかつたのである。原告の本訴請求は予見可能性のない特別事情による損害の賠償までも含むものであつて不当である。

(三)  カラーフイルムの製造会社は例外なく自社製品の製造上及び現像処理上の不備については、代品として未撮影フイルムを提供するだけでそれ以上の責任を負わない旨を定め、使用説明書に明記している。市井の現像店については格別の定めがないが、多くはこれに做つて代品提供で解決され、稀に金銭賠償が行われても、極めて小額である。然るに原告の請求額は異例の巨額である。

(四)  本件フイルムは原告が国外で購入したものと思われるが、この場合現像料とし二〇〇円を受け内一六〇円をアグフア現像所に渡し残り四〇円を取扱手数料として被告が取得することになる。本件請求額は右手数料と比較しても甚だしく高きに失す。

(五)  被告が本件事故の善後処理に最善を尽した結果、本件フイルムは鮮明度が低下したとはいえ黒白写真として使用し得るようになつたことは、原告も概ねこれを認めている。また被告会社の社長や銀座営業所の責任者が再三陳謝し、賠償として一〇万円の提供を申出たこともあるが、原告はこれを拒絶した。しかし原告は本件事故後も被告から一〇万円を超える写真機材を購入しており被告を或る程度宥恕しているものと見られる。

(六)  原告はもと参議院議員で、次回の下関市長選挙に出馬せんとしている政界の名士であり、医師として病院を経営する相当な資産家であるのに対し、被告は一介の小企業(資本金四五〇万円)に過ぎず、三〇〇万円というような巨額の賠償には到底堪え得ない。また本件事故の直接の責任者である前記浅香は二五才の若年であり、被告としては本件で賠償を命じられても同人に対して求償するつもりはないが、多額の賠償支払によつて被告会社が打撃を受けるようなことになれば、同人も重い精神的負担を感ずることになり、ひいてはその将来に暗影を投ずるやもはかり難い。

と述べ、証拠として乙第一号証の一及び二、第二号証の一ないし五第三号証を提出し乙第一号証の一はアグフア社製品の説明書、その二はアグフア、カラーフイルムの外装紙箱であると述べ、(証拠省略)

理由

原告が被告会社に現像(の取次)を依頼した本件カラーフイルムが被告方店員の過失により黒白フイルムとして処理され、ためにカラー写真としては用をなさないものとなつたことは、被告の認めて争わないところである。このような場合、常に精神的損害が発生するとは即断し難いけれども、その写真がかけがえのない貴重なものであるときは、その毀損により撮影者等が精神的損害を蒙ることもあるべく、かかる事態も通常予見し得る範囲内に属するものということができるから、右精神的損害は賠償せらるべきである。そこで本件についてみるに、本件写真につき、原告が請求原因二において主張するような事情の存することは原告本人の供述と甲号各証(原告主張の写真であることにつき争がない)とによつてこれを認めることができ、右事実よりすれば、原告が精神的損害を蒙つたであろうことは推認するに難くないから、被告は右損害を賠償する義務がある。

そこで進んでその数額について考えてみる。

(一)  被告は、現像依頼の際原告にも過失があつた旨主張する。そして、乙第一号証の一及び二(被告主張のようなものであることは争がない)と浅香健利の証言によれば、本件事故発生に至る経緯はほぼ被告の主張するとおりであることが認められる。なお原告本人は、本件フイルムがカラーフイルムであることを明確に告げたかの如き供述をしているが、それでもなお本件のような誤りを生じたとは聊か信じ難い。そうすると原告の注文の仕方は、カラーフイルムであることをはつきり念を押さなかつた点において多少言葉が足りなかつた観がないでもなく(「現像ベタ焼」と言つた点は、被告もかかる注文が全くあり得ないと主張するわけではないから、浅香の誤解を宥恕する一つの事情とはなつても、原告の過失とはいえない。)、又浅香が「アグフアは明日の夕方出来る」と言つたのに対して原告が不審を抱くことも全然期待できなくはないから、右の点は原告の過失とまでは言い得ないにもせよ慰藉料額の算定に際し、被告の責任を軽減する方向に働くことは否定できないと考えられる。

(二)  原告が請求原因二において主張するような事情の存在を肯認できることは既に述べたとおりである。被告は、右事情は特別の事情であつて被告においてこれを知らず、また知り得べくもなかつたから、これを根拠に賠償を求めるのは不当であると主張する。しかし、言うまでもないことながら、慰藉料の額は裁判所が諸般の事情を考慮して自由心証によつて決定するもので、通常の損害と特別事情による損害とを截然と区別することは不可能である。前述のように、本件のような事案において原告が精神的損害を蒙るかもしれないことは抽象的には予見可能であつて、過失と精神的損害一般との因果関係はそれだけで肯定してよいと考えられ、それ以上の具体的事情を被告が知つていたか、又はその可能性があつたかどうかというようなことは慰藉料額に影響を及ぼす一つの要素として考慮に入れれば足りることである。そこで更に本件の具体的事案についてみるに、本件フイルムが原告主張のような貴重な外遊の記録であることを被告において細大もらさず知つていたとか、知り得べきであつたと認むべき証拠はないが、少くともこれが単なる家庭写真の類ではない特殊なものであることは、カラーフイルムの現像を一二本も一度に依頼されたというそのこと自体からも充分推測し得た筈であると思われる。しかし一方ひるがえつて考えると多数の注文を取扱う業者の責任を定めるについて、具体的に予見し得ないあらゆる特殊事情をとりあげることは結果において苛酷に失する観のあることも否めないところである。

(三)  被告が答弁二の(三)以下に主張するような事情の存することは、前記浅香の証言のほか、乙第二号証の一ないし五、乙第三号証(いずれも成立に争なし)及び根岸俊弘の証言によつて認めることができる。しかし(三)については、使用説明書のそのような記載に如何なる効力があるか、にわかに論断し難いし、(四)ないし(六)ももとより全く無関係なことではないが、本件においてそれほど重要なこととも思わない。本件におけるそもそもの問題は、原告主張の事情のみを基礎として考えた場合、慰藉料の額は果してどれ程が適当かという点にある。なお原告本人の供述によれば、原告は本件事故に関して被告に対しことさら悪感情を抱いているわけではないが、従来この種の事故につき業者が代品提供以上の責任をとらない風潮があるのは是正すべきであると考えて本訴を提起したものであることが認められる。

当裁判所は以上認定のような諸点を彼此比較考量した結果、本件において原告の精神的損害をいやすに足る金額は一〇万円をもつて相当と判断する。よつて原告の本訴請求を右の限度で認容し、これを超える部分は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第三二部

裁判長裁判官 地 京 武 人

裁判官 富 川 秀 秋

裁判官 藤 井 登癸夫

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